音乃木坂図書室 司書
8月も残り3日、この日も猛烈な暑さだった。
1ヵ月近く熱帯夜が続き、日中も毎日35度を超えるような日々。
この年は梅雨時期に雨が多かったが、それ以降は連日のように強烈な日差しが降り注いでいた。
夏休みも終わりが近づいていたが、μ‘sicforeverの6人は夏休み恒例となった、園田家での早朝練習をこの日もこなし、おいしい朝食をご馳走になり、その後は新学期の打ち合わせをするために音乃木坂へと来ていた。
扇風機と冷風機をフル稼働し、部室にて打ち合わせをしているのだが、暑さのため完全にだれている。
そもそも打ち合わせなら、クーラーのあるカフェやメンバーの家でも良いのだが、2年生は生徒会の仕事もあり、不承不承音乃木坂へとわざわざ出向いたのだ。
そして案の定暑いと騒ぎたてる者が1名いた。
もちろん穂乃果である暑い、死ぬ、暑い…と言う言葉を連呼しながら、机にへばりついてお菓子をほおばっている。
2年生の3人は新学期に向けての生徒会の仕事の確認で生徒会室にいるので、部室に今いるのは3年生の3人だけである。
海未はμ‘sicforeverの新曲の詞を考え中、ことりは衣装のデザインを考察中、穂乃果は暑さに文句を言いつつ間食中…特に何も言わない海未とことり。
そして穂乃果…いつも通りの3人であった。
それはさておき…時刻は11時を回ろうかと言う頃、アキバの老舗和菓子屋、穗むらには1人の若い女性客が訪れていた。
穂乃果の母はいらっしゃいませと出迎える。
店内には近所の常連やμ‘sファンの客(穂乃果の家が和菓子屋と言うのは有名で、μ‘sファンの間では聖地みたいになっている)で賑わっていた。
店内をクルクル見回し、漂ってくる甘い香りに鼻をスンスンとさせて思わず笑顔になる女性。
年齢は20歳位だろうか。
背が高く、スラットした体型にきれいな顔...ほのかの母は娘の友人かと思い、声をかけようかと思った時であった。
女性の方から穂乃果の母に話しかけてきたのである。
「あの…お久しぶりです。覚えてないかもしれませんが、私昔この辺に少しだけ住んでいた徳井って言います。今日穂乃果ちゃんはいますか…?」
穂乃果の母は名前を聞いた瞬間に記憶が蘇る。
忘れるわけがない。
引っ越しのあの日、穂乃果がずっと自分の手を握ったまま、“恵海ちゃん行かないで、“って泣き叫んでいたのだから…。
それに短かったとは言え、恵海の母とも付き合いがあったのだ。
最後に会ったのは何年前だろうか。
穂乃果たちを訪ねて、毎年来てくれていた恵海は、すっかり大人の女性と変貌を遂げていた。
「恵海ちゃん…もちろん覚えているわよ。すっかり大人になってきれいな女性になってて、最初は気づかなかったけど…久しぶりね。
お母さんは元気してる?こっちに戻ってきたの?」
「いえ、今は福岡に住んでるんですよ。でも母は元気です。今でもこの街は良かったって言ってますし。
あの後日本の各地をいろいろ住みましたが、私もやっぱりアキバの街が一番でしたから」
「そうなんだ、懐かしいわね。元気そうならよかった。えみちゃんも福岡から来たなら遠かったでしょ。飛行機できたの?」
「あっ、いや、私は今大学で京都に住んでいるんです。だから新幹線ですね。京都からだとそこまでは遠くないので」
「へー、今は一人暮らしなのね。どこの大学に通ってるの?」
「京都大学ですよ」
「えっ、京大…?恵海ちゃんすごいわね…ってごめんね。話それちゃって。穂乃果に会いに来てくれたんでしょ?
穂乃果は今部活の練習で出ちゃってるんだけど…一旦戻ってきて制服で出てたから多分学校に行ったんだと思うけど、ちょっと待っててもらえる?」
そう言うと、穂乃果の母は2階にいる雪穂を大声で呼び付ける。
「雪穂、降りてきて!早く!」。
すると1分後、渋々といった表情で、雪穂はだるそうに一塊回と降りてくる。
Tシャツに短パンと言うラフな格好である。
「なぁにーお母さん。私忙しいんだけど!(?誰だろう?あの綺麗な人は)」
雪穂の視界に恵海の姿が入る。
恵海は笑顔で会釈すると、それにつられるようにして、雪穂もペコリと会釈を返す。
「何が忙しいのよ。どうせゴロゴロしてたくせに。穂乃果に連絡してくれる?今どこにいるのって!」
「えっ、そんなの自分ですればいいじゃん」
「私は今仕事中なの。早くしてよ!」
「はーい分りましたよ… (あの人、お姉ちゃんの知り合いかなぁ?)」と
その頃音乃木坂にいる穂乃果はと言うと…。
生徒会の仕事を片付けて、部室に戻ってきた2年生とともに打ち合わせをしていた。
花陽が進行する打ち合わせ、ホワイトボードには音乃木坂スクールアイドル戦略会議と書かれていた。
穂乃果はふとスマホにメールを受信していることに気づく。
「あれっ、雪穂からメールだ。なんだろう?」
スマホを手に取りメールを開く。
“お姉、今どこにいるの?“そっけない一文である。
「なんて可愛げのない妹なんだ。…」と言いつつ、雪穂へ返信する穂乃果。
“今音乃木坂で、打ち合わせをしているよ。その名も音乃木坂スクールアイドル戦略会議。花陽ちゃんが熱弁を振るい中!“
“どうでもいいけど、お姉ちゃんにお客さんが来てるよ。“
「どうでもいいって失礼な…お前も音乃木坂のスクールアイドルじゃん、雪穂許さん!っていうか、お客さんって誰だろう…」
スマホを手にブツブツつぶやく穂乃果だが、打ち合わせはまだ続いている。
気持ちのこもった声で花陽が説明を続けていた。
穂乃果はメールを返す。
”お客さんって誰?”
”さぁ、知らないけどすごいきれいな人”
“情報量少なっ!えー、誰?気になる…」
1人つぶやく穂乃果に花陽がしびれを切らす。
「穂乃果ちゃんうるさい!集中して真剣にやってください。!」
アイドルモードの花陽に一喝される穂乃果だった。
再び穗むらにて…
「お姉ちゃん学校で打ち合わせ中だって」
雪穂が母へ告げると恵海が反応する。
「それでは音乃木坂に行ってみますので…えっと場所ってどこでしたっけ…?」
それを聞いた穂乃果の母が言う。
「雪穂、案内してあげて」
「ええ!?やだよ、こんな暑い中、外出たら死んじゃうって!」
娘の言葉にやや呆れた顔で穂乃果の母は言う。
「わかったよ…ほらお小遣いあげるから」
「はいかしこまりました!行ってきます。!」現金な雪穂である。
そんな母子2人のやりとりを見て、恵海は自然と笑っていた。
やっぱり穂乃果ちゃんにそっくりだなぁと、妹の雪穂を見て、恵海は思っていた。
「それでは案内しますので、いきましょう」
雪穂はそう言って恵海とともに穗むらを後にする。
高坂家から音乃木坂は歩いて数分(7 ~8分)の距離で近い。
とは言え夏の強烈な日差しである。
歩くだけでじわじわと汗が滲み出てくる。
「それにしても暑いですねー、毎日毎日真夏日で嫌になりますよね」
「うん、私の住んでる京都もすごい暑いけど、東京の暑さはまた一味違う暑さだよね。
ヒートアイランド現象って言うのかな?それにしても雪穂ちゃんもすっかり大きくなって可愛くなっててびっくりしちゃったよ。」
「あれ、私会ったことあるんですか?かわいいなんて…エヘヘ」
「うん、小さい頃にね。といってもあの頃雪穂ちゃんはまだ5歳位だったから。
その後も何回かこっちに来てるけど、覚えてなくても当然だよ」
「そうだったんですか、すいません覚えてなくて…」
「大丈夫だよ。でも雪穂ちゃんはお姉ちゃんそっくりだね。子供の頃はいつもお姉ちゃん、お姉ちゃんて言って、穂乃果ちゃんにべったりだったっけ。懐かしいなぁ」
「それはなんというか…恥ずかしい話ですね、ハハハ…」
そんな話をしながら、2人は音乃木坂の校門へと続く階段へと来ていた。
「よっと…この階段の先が音乃木坂ですよ」
「ありがとう。雪穂ちゃん、後は1人で大丈夫だよ」
「そうですか、じゃぁお姉ちゃんに校門まで迎えに来るようにメールしておきますよ」
雪穂は姉にメールを送ると笑顔で恵海と別れ帰路についた。
「あ、名前聞くの忘れちゃった…まぁいいか」。
雪穂はつぶやく。音乃木坂に続く階段を上る恵海。
桜の木で囲まれた階段は夏の日差しを遮るように、木々の葉は吹き抜ける風で揺れていた。